かっての牧歌的SOHOライフと異なる
自宅の企業デジタルファクトリー化


前号でお伝えした新居兼オフィスの赤坂「SOHOアンテナハウス」(*)での暮らしと仕事がいよいよ始まった。
 個人的にはフリーランサーとして22歳でこの世界に飛び込んだ当初、会社を持つまでの間友人たちと共同HO生活を2年間していた時期がある。
 16年前当時は、まだパソコンはおろかコピー機、FAXも高価であったし、当然現在のようなEメール、インターネット、バイク便、宅配システムのようなものはなかった。ロンドンから帰国した音楽評論家や後に大槻ケンジ、たま、ミスチルを世に送り出すことになるインディーズ系SOHOたちと、当時で言う”新人類”的フリーワーカー生活をしていた頃だ。
 事務所には常に仕事とは直接関係ない各業界の若手(お互い名前も知らないような)がごろごろしており(実際床やソファに誰かが横たわっていた)、今から思うととてもスマートSOHOビジネススタイルとは程遠い、かってあった青春都市小説のような自堕落な日常を送っていた。
 ビジネスよりも、やりたいことを優先させるSOHOにベンチャーというキーワードが当てはまらないように当時は日本を代表するスクエアな大企業に、いかにヒップな市場企画を提案できるかが重要な時代でもあった。結果としてビジネスになればよく、こちらのセンスについてこれない組織は何百万も何千万もかかるようなコストは負担できないだろうし、ある意味でプロシューマーズ(生産・消費融合ユーザー)のニーズを引き出すことが仕事である我々の業界にとっては、幸せな時期でもあった。
 今回再び職住接近型生活に戻って、最初に気づいたことの一つが、現在のようなデジタル装備のSOHOでは、当時のような牧歌的生活を送ることが事実上困難になっているということだ。
 メールボックスには24時間こちらの日常とは無関係に、仕事上の指令から会ったこともない人からの相談やら意味不明のDMが舞い込んでくるし、FAXは自動的に書店からの注文票、代理店からの企画書の赤入れを吐き出してくる。(ぼくの本業の一つが出版業、つまり版元として取り次ぎや全国約2万書店との交流がある)
 クライアントのサイトを管理するwebマスターであるスタッフがよくこぼす「昔と比べて手離れが悪くなった」という愚痴には、印刷所に版下をぶっ込んでいれば、とりあえず仕事は一段落した頃と違い、現在は企画、制作、販売、アナウンス、顧客管理がそのままアウトソーシングされ、へたをすれば自分のデスクモニターやモバイル自体が企業の総合的な電子的ファクトリーそのものになってしまうという”新しい現実”がある。
 つまり、自宅からオフィスに通い、そこから取引先企業に通う全ての手順と無駄が一掃されたのと引き換えに、”企業ビジネス文化の持つ空間、時間、交通、言語、風土性”が、いきなり我が家のワークプレースへと凝縮されてきたといってもいい。
 「早く散歩にいこうよ〜」としっぽを揺らしているハウスペットの黒犬。その横で静かなドライブ音をたてるわずか20cmの箱の中に、休みなく世界市場へ情報発信する上場企業のデジタルファクトリーが存在している。                            

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*「SOHOアンテナハウス」
20世紀の初頭、ドイツのバウハウスにおいて、その後の近代的量産型モダンライフス
タイルの各種コンセプトや設計がなされたように、21世紀の分散型SOHOワーク&ライフスタイル開発においても、そのコンセプトが実証されるためのファクトリーやスチュージオは必要である。
今回の赤坂「SOHOアンテナハウス」運営実験は、そのための最初のモデルである。
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●河西保夫(プランニングプロデューサー・SOHOギルド事務局代表)
「月刊SOHOコンピューティング」98年8月号原稿より


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