■kawanyのSOHO スタイル日記■
SOHOは「等身大の経済」に戻るべき
今から遡ること3年前、当時関わっていた大前研一の 東京都知事選であのサリン騒動の中「TOKYO独立!」 などというわけわかんないほどにラジカルなキャンペ ーンをやっていた勢いで、そのままギルドジャパン というSOHOのネットワーク活動に入ってしまい、気が つけば、これまた分けわかんないSOHOのスピーカーと いうか、旗フリをしてるという30代の自由業者、SOHO ギルドのカワニシでございます。
まSOHOというのは、比較的最近の言葉で、思い起こ せばぼくがフリーランサーになって最初にやった仕事が 「フリーというお仕事」というマガジン特集。82年当時 まだ健在だったアンディ・ウオホールが絡んでいた 「スタジオボイス」誌での話だ。
その後雑誌編集者を経て86年に「フリーワーカー宣言」 という某求人会社のTVCFキャンペーンをしてみたり、 87年には青山のスパイラルホールで秋元康や中森明夫に 手伝ってもらい「フリーワーカー・ネットワークパーティ」 (しかも2日間連続!)なんてことをやっていたから、今 も昔も変わっていないというか、我ながら進歩がない。
おかげでNHKや毎日新聞あたりからは「SOHOの草分け」 などという、SOHOに草分けなんてあるんかい?という 結構無理のある評価まで頂き(T-T)、いまやドップリと SOHO三昧の日々を送らせていただいている。
SOHOの日常や社会的意味、あるいは歴史的展望など というテーマでもいただければ、もう15時間ぐらいは 飲まず喰わずで、いくらでも喋り続けるほど言いたいこ とはあるが、ここはアットホ〜ムな「べんべん」さん だから、まあ、かたい話は抜きにしてSOHOビギナーの 方を仮想読者に、ゆるりと、じわじわ真綿で首を締める ように”リアルSOHOのディープな世界”をご案内できれば と考えている...。(どんな世界じゃ)
というわけで、いきなりですが、私、この6月に原宿は 表参道の事務所をたたみ、赤坂の自宅兼オフィスに引っ越 してまいりました。赤坂といえば聞こえはいいが、地 上げ再開発に失敗したもろ70年代風「キーハンター」ちっ くな単にレトロな造りの、文字通りの在宅SOHOに再びな ってしまったわけですね。
自慢じゃないが(自慢です)バブル華やかりし頃、 他のSOHO同様一時は我がクラブハウス社(出版/マーケ ティング業)も飛ぶ鳥を落とす勢いで、神宮前キラー通り の家賃100万円の豪華な全面ガラス張りのバブリービル (しかも隣は現代アートのトレンド発信基地ワタリウム!) に15人のスタッフとデーンと構えていた頃もあったのだ から、おごる者は久しからず。盛者必衰はSOHOの法則、 とでも言いましょうか、まさにバスタブにたまる赤水の ごとく(大家さん何とかしてほしいちゅーの)赤貧のSOHO の一員として向かい風の強い時代をじっと耐えているわけ でございます。
考えてみれば億単位の受注が当たり前であったバブル崩壊 以降、極力社員を減らし外注や契約スタッフに協力を仰ぐこ とで身軽になっていく既存SOHOの流れと今回の新SOHOブー ムには、少なくともSOHOは「等身大の経済」に戻るべき、と いう共通の思想があるようだ。
まわりを見ても、かって5億、10億と小さいながらもそこ そこの売上を持っていたベンチャーや中堅SOHOがサッと波が 引くようにバブルマンションやインテリジェントビルからいな くなり(文字通り消失してマグロ漁船で遠洋に汗を流す者や、 何を勘違いしたか遠くロシアの地で再起をはかる懲りない というか、醒めないSOHOもいるが)多くのSOHOがこれか らスタートしようという新人SOHO同様に自宅を拠点としはじ めたのには、やはりそれなりに戦略があってのことだ。
何人もスタッフを雇用してその運営費に時間をとられるぐら いなら、自由契約とでもいうプロジェクト単位の「タスクチーム」 で運営するSOHO型のマネジメントに切り替え、インターネット を駆使してSOHOスタイルの事業に切り替えたほうがリスクヘッジ が出来る。バブルの罠をなんとか踏み越えて、なおまだ生き抜く SOHOならではの智恵なのである。
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●河西保夫(プランニングプロデューサー・SOHOギルド事務局代表)
オンラインマガジン「べんべん」原稿より