「職業の在り方研究会」研究フォーラム報告
「SOHOと新しい社会の出現」(仮・サマリー)より



98/03/09(文中敬称略)
協 力:「職業の在り方研究会」、財団法人社会生産性本部
発言者:森(大学教授)
    北浦(生産性本部)
    岡辺(IFF)
    スピンクス(大学講師)
    河西(SOHOギルド)
    藤倉・水谷(D-ONE)
    福田(大前ABS)
    堅田(住友信託)、他
収 録:98年2月 葉山国際交流村

第1セッション
「ネットワーク社会におけるSOHOの問題点」

議論を引き出すために、司会の森から次のような発言をした。
「今は工業社会から情報社会へ移りつつある(図1参照)。工業社会は関係がピラミッド型であり、情報社会はネットワーク型である。「個」の視点では工業社会で埋没しがちであり、情報社会では自立を求められる。工業社会で企業間関係をネットワークと言うことがあったけれども、それは誤りだ。チェーン型というべきであった。チェーンは、一つの輪が強くありながら、その一つが壊れると全体が機能しなくなる。それはそれぞれの輪の自立が弱いということだ。その点で『チェーン型』であったと思う。それに対して情報社会ではそれぞれの単位が自立的でなければならない。そうすると、一つが崩れても全体は破壊しない。それが『ネットワーク型』の強さであるし、特徴である。
そうした違いがある工業社会と情報社会の意識面での違いは、工業社会がモノを核にしていたのに対し、情報社会は『思い』を核にすると考えられる。そして、工業社会でモノがメッセージ力を持っていたのに対し、情報社会ではモノによるメッセージ力は弱まり、メッセージそのものが重要になる。そこで今、若者を中心に自己表現意欲が高まっているのだと考えられる。
このような状況を反映しているのがSOHOへの関心の高まりではないかと考える。」

社会認識

 森の発言に直ぐ反応したのはスピンクスであった。スピンクスは、工業社会と情報社会という捉え方が粗雑だと指摘した。いきなり工業社会から考えるのではなく、その前の時期から考えるべきだと主張した。
「バック・トウ・ザ・フューチャー。過去に戻ることにより未来へ進むということがある。テレワークにしろSOHOにしろ、職住近接という点では前近代社会に戻っているとも言える」とした(これらについては、スピンクスの近著『テレワーク世紀』日本労働研究機構、1998年に詳しい)。そうして、「工業社会は、異質な社会であるとも言える」と言った。
スピンクスに次いで発言権をとった河西は、SOHOを積極的に捉える立場で発言した。「SOHOは近代の市場原理ではわかりにくい。『創りたいモノを作る』といった側面がある。今、小劇団は3000ほどあると言われているけれども、互いにチケットを買い合って劇団を運営している。つまり、そこにはギブアンドテークという市場調整機能が働いている」と分析して見せる。そのほかにもシブヤ(渋谷)系のSOHO的なグループがあって、新しいビジネス、働き方で成功を収めつつあるという。彼は、「SOHOにはフリー性、ベンチャー性が強い。アーチスト系、タマゴッチなど、成功しているSOHOもある。今後は職業としての完成度を高めていかなければならないであろう。SOHOは『新しい中世』を創りつつあるとも言え、SOHO人を『デジタル遊牧民族』とも言える」とも言って、独自な立場を表明した。河西は、近著『SOHO開業 ビジネスの素134』(クラブハウス、1998年)に関わり、幅広いSOHOの起業に期待していると考えられる。
この河西に続いて発言した藤倉は、まず時代分析から考えを披露した。
「先ほど、工業社会から情報社会という考えが示されたけれども、現在は情報化社会であって、情報社会にはなっていない。情報化社会で関係性はネットワーク型であり、それを維持するためには『ハブ』と『システムオペレーター』が必要である。
SOHOには受注型が多い。これからの社会は発信型であることが求められる。受注型であると既存構造に組み込まれるので、それに対抗して発信型になるためにはプラットフォームのような新しいタイプの『場』を用意する必要がある」ここで、森の提起に言及する。
「モノに知識を加えたのが工業社会で、情報化社会はネットワークで知識を代替えしていく。工業社会のピラミッドの中から個人を解放し、情報化社会のネットワークでチームワークを組んで精神力を高めて行く必要がある」。率直で現実的な考えだ。
さらに藤倉は、「拡大志向のベンチャーもあるけれども、疑問に思う」と言い、自らを職人的で地道なSOHO経営者としたヒヤリングの発言を裏付ける(本報告書00頁参照)。そうして、「情報化社会ではモノよりコトが重要になってきた」と、森の「モノと思い」という発言にクサビを打つ。ここも、実践者の面目躍如である。水谷が自己紹介の中で言った「すること」への強い関心と近いのであろう。
藤倉の発言の内容は、ここに正確に写し取られてはいないけれども、重要な提議であった。中でも、ネットワーク社会にあっては各人が知識と技術を共有して活用するために構築する「プラットフォーム」の存在を重視すべきだという問題提起は、将来ともに検討し続けるべきであろう。
アタッカーズで活躍している福田は、また別の個性を見せる。「ここ数十年は、幸せな時代であったのかと思う」と、現状をかなり肯定する意見を言い、スピンクスの意見に関係して「バック・トウ・ザ・フューチャーに対応して言えば、バック・トウ・ザ・ベイシック、資本主義の原点に帰るべきと考える」と言った。現状を変えるには、資本主義の原点に帰るべきだというのであり、これはその資本主義の原点すら検討すべきかという意見と対立する。しかし、現実にSOHO経営者でもある福田は、現状の枠組みを原理から変えるべきとは考えていないのであろう。一つの見解である。

ネットワーク社会の落し穴とSOHOが投げかける問題

 企業にあってビジネス革新を推進している稲畑は、ネットワーク社会の落し穴について現実の体験を踏まえた発言をした。まず、「全部ネットワーク、全部 SOHOは失敗するのではないか」と、若干ネガティブな見解を述べ、「クリエイティブな仕事ほど顔を合わせる必要がある」という。その理由は、次のような体験に基づく。勤務先で、「テレビ会議を3年間やってきたがうまくいかず、出向いて調整するようにして問題の多くが1ヶ月で解決した」というのである。そして 、「ネットワークは対面性のコミュニケーションで補いながら活用すべき」だとした。
この考えに反応するように、岡辺も次のように言う。「テレワークが万能ではない。在宅勤務の場合、家族にストレスがたまるということもある」。
藤倉もまた、「テレビ会議より、顔を合わせるのがいい。つまり、場を共有して話し合うのが一番。例えばミスミのように、組織の体をなしていない会社で、チームリーダーがプレゼンテーションしたあるプロジェクトの中からやりたい仕事を選んで働くとか、社外のインデペンデントな組織や人材を活用して仕事をするというように」と言った。さらに、「電子メールは、発言の立場性が問われる。テレワークは、情報共有と交換が精一杯と考える。創造的な作業はまだネットワーク上では無理である。現在はまず、新しいものを創って行こうという天才的な人が育ちやすい環境を作ることが大切」だとする。
オフイスメーカーに勤務する鈴木は興味深い報告をしてくれた。「ニューヨークのある広告代理店は、新しいオフィスの形を見せている」というのである。プロジェクトルームは、個別の部屋とサロン的な部屋とわいわいがやがやできる部屋とを用意していて、さらにスタートアップミーティングは、ホテルや社員の広い家で行なうというのだ。対面性を重視してのことである。そうして、こうしたオフィスをパソコンと通信網がサポートするという。
鈴木は、「今後、大組織がどうなって行くのか。ネットワーク化、人のつながり、資本の集中などに対応する選択肢の一つとしてSOHOがあるのか。成長が置いてきたもの、それがSOHOとなっているのではないか」という問題意識を投げかけた。彼は、「ネットワークとコミュニティ形成では、次の3点が重要」だという。
第一には、信頼関係をいう。ネットは形。意識のプロトコルを高めるためには、フェース・トウ・ザ・フェースの場の共有が必要だと考える。第二には、個々人が自立していないと駄目だという。会社においても役割と責任が大切だ。そして第三には、相互扶助の関係を創ること。そうして、「高付加価値を生み出す人は 、SOHO的になり易い。リクルートでは社内新規事業で、リコーではthe Manといった制度でそうした人の育成をしている」と例を挙げて説明した。こうした例が増えることで、既成企業にあってSOHO的人材を活性化させる動きが高まるであろう。「やがて、国を越える人が出よう」。そう言った鈴木に対応するように、堅田が次のような見解を披露した。
「国を越えるプロジェクトを考えるには、市場財と公共財とを考えて行くべきだ。SOHOは公共財を担えるのか。そのためには持続的に活動できることが大切。さらに倫理性が問われる。そしてファイナンス。次いで製作権の問題」と整理した。

SOHO的人格

河西が次のようなSOHO人格論を披露した。
「9時から17時までのワークスタイルをとる既存のサラリーマンからは、創造的な人材は出てこない。創造的な人材は社会のレールにのらない人間だ。SOHOはハイリスク・ハイリターンであるけれども、敗者復活ができるので割合イージーである。失敗してもそれは仕方が無い。食えなくても好きだから仕事をするという人が多い。そうした、社会が与えるイメージや既成価値を破る人も必要である」
また、「SOHOには自由人のイメージがある」と言ったのは角谷である。「それが大企業に居る人にとってはうらやましさと嫌悪感を感じさせるところ」だという。その上で次のような意見を述べた。「電子化の一つの問題は、瞬間アイデアをどう生かすかということでもある。また、才能のピーク時をどう生かすかも問題」。
つまり、ネットワーク社会での課題の一つに、本当に創造的な仕事を期待出来るかどうかということ、働く人を使い捨てする危険が潜んではいないかということがあるというのだ。それが大企業とSOHOの双方にあるという。
彼はまた、「SOHOワーカーは、一国一城の主という気持ちで働いている。そこにも問題が発生する」と指摘した。仕事に打ち込み過ぎて囚われ、自分を見失って精神障害を起こす例も出るというのである。大和運輸で各支店に社内カウンセラーを配置している例を紹介した。ドライバーに対して家庭訪問してカウンセリングするというのである。だから、「コミュニケーションは、直接する必要もある」というのが角谷の見方である。
テレワークを研究し、その正常な発展を期待しているスピンクスは、こう述べた。反論ではないが、テレワークの利点を排除してはならないという指摘だ。「ネスビッツが言ったことだが、ハイテク・ハイタッチを考えねばならない。これは言葉の綾だが重要なことだ。電子ツールは使い分けが大切なのだ。FAXで言えば、日本は地図の送付に、ヨーロッパでは異国言葉の理解を進めるのに使っている」。
そしてスピンクスは、「今の大企業は減点主義だが、SOHOは原点主義だと言える」と日本語を上手に使ってSOHOの意義付けをした。その上でまたこう言う。「大企業はSOHOに対し、仕事を発注する際の判断基準を持たない。SOHOは、仕事に応募する際、その仕事は幾らと自ら言えるだけの、自分の能力をアピールする力を持つべき。そのためには社会的に通用する資格を持つなどが必要だ」。「資格は安心料である」というのがスピンクスの考えである。これは、SOHOと企業の双方にとって必要な考え、仕組みである。
司会を助けていた岩間は、第1セッションを終えるにあたり、次のような考えを述べた。第2セッションにつながる指摘である。
「工業社会から情報社会へという問題は、二つが平行していると考えることが大切ではないか。ネットワーク社会の実現はまだ先の話だと思う。また、工業社会の人間を情報社会の人間に転換するのはかなり難しい。問題は、二つの性格の社会が混在する際にどう棲み分けをするかということではないか。言い換えると、どう両者がコミュニケーションするかが問題なのではないか」

SOHOの正常な発展には

 最後に、第1セッションで研究フォーラムを去る岡辺に発言を求めた。岡辺は、「次の3点をコメントしよう」と言って、第1セッションを締めくくってくれた。
「 SOHOの捉え方では、幻想論を排すべきである。SOHOの原点は、思いとインデペンデントだと考える。単にファッションであってはならない。堅実な方法があるはずだ。また、小さいから、家にいるからSOHOだというのではなく、コミュニティ・ビジネスがSOHOだというようにも考えたい。
SOHOが新しい社会を作るかという命題には、SOHOが作るイメージが社会にどうインパクトを与えるかという点に注目したい。働き方論として新しいイメージが描ければよいのではないか。また、SOHOで成功するものが出てきてほしい。そのための成功基盤整備をすることが一つの方向である。議論になっていたコミュニケーションの問題は、人としてのネットワークと情報としてのネットワークとが融合することを期待したい。そうして、社会的には空間を離れていても、仕事、教育、医療を公平に受け取ることができるようにすることが重要で、SOHO、電子情報網を利用したネットワーク社会はそれを実現するのではないかと考えたい」


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