「職業の在り方研究会」研究フォーラム報告
「SOHOと新しい社会の出現」(仮・サマリー)より
98/03/09(文中敬称略) 協 力:「職業の在り方研究会」、財団法人社会生産性本部 発言者:森(大学教授) 北浦(生産性本部) 岡辺(IFF) スピンクス(大学講師) 河西(SOHOギルド) 藤倉・水谷(D-ONE) 福田(大前ABS) 堅田(住友信託)、他 収 録:98年2月 葉山国際交流村 |
第3セッションは、再び「人格」の問題から始まった。しかも、人の属性としてではなく、法人、組織としての人格性が取り上げられた。 |
再び「人格」を問う |
堅田は、パソコン体験から話し始めた。「1985年にマックと出会ってパソコンを使いはじめた」という。そして、パソコンは「自立した個人の道具」であり、「自立した個人がどう使うか」が問題だと考えると言った。 次いで堅田は、大企業の労働市場は次第に狭くなっていくであろうという予測を踏まえ、ここで与えたいキーワードは次のようなものだと述べた。「社会の変化についていく、あるいは広がりつつある新しい領域に参加していくということではないか」。したがってSOHOは存在価値を示すことができると考えるのだ。 堅田は、既成の企業セクターに余裕が無くなっていることに注目したいと考えているようで、「気付きの広がりでSOHOのニーズが広がる」と言い、関係性が重 要だとした。その関係性とは、企業間のことであり、社会保障、地域のことであり、教育のことでもあるという。それらの制度変更をどう進めるか、どう促すかが大切だと指摘した。 そのためにも、先ずは、人格の問題が重要だという。それも組織の人格が議論¥されねばならないとする。株式会社でうまく行かないなら有限会社で行くのか¥。権利関係や責任がどうなるのか。これまでとは別の人格を考えるべきだという¥。そして税体系も問題だとする。今は大組織を前提にして組み立てられている¥。しかし、SOHOのような小組織が力を付けてくれば、体系を変えねばならない¥ 。そうした政府セクターの問題がある。さらにファイナンスの問題も指摘した¥。コンビニで金を借りるようになる時代であり、ローン、寄付、そうした種々の¥ファイナンスについても新しい制度を樹立せねばならないであろうというのだ¥ 。そのようなことを、この研究フォーラムで昨日から考え始めたと述べた。 これに対して水谷は、「新しい人格」を「ネットワーク上での人格」として考¥えたいと発言した。するとそれは、「ネットワーク上での身分保証」の問題にな¥り、「人格をシェアする法人」という問題をも考えねばと言った。 |
SOHOの主体性も問うべき |
森は、SOHOは延命策を考える「得体の知れない大組織」(河西)に入り込み、あるいは時に応じて対峙し、社会における一つのセクターとして役割を果たしていくと期待している。そのために河西は、「社会参加とSOHO」の関係を考えて行くべきだとした。そして「マイノリティの仕事世界への参加が増えて行くので、社会的経済的保証の仕組みを考えるべき」と主張する。これに応える政策を実現していくのは、行政の役割である。 しかし、SOHOが自らの立脚点を失っては原点をはずれる。 藤倉は、そのあたりを次のように語っている。「自立を求めるのではなく、自律を。事業協同組合は、自律して協働する場づくりを目指している。自律した個人による共同の市場創造が課題である」。「そのためにバーチャルコーポレーション、ネット上で結びついて特定プロジェクトチームを形成する活動体を組織する。その活動体は、目標を達成したら解散する。情報はそのままでは価値を移転しないから、共有するしかないのである。そこでヒト・モノ・カネを情報化して時間、空間を生み出すのが一つの仕事となる」。 スピンクスもまた、SOHOに期待しながら「実績こそ信頼を形成する」と言い 、「顔のあるSOHO」であってほしいと語った。 そうした発言に水谷は、「自律も大切だが、回りの人の支え、信頼なども大切」だと指摘し、自律して自由であるためにSOHOの身分保証は国ではなく、第三者機関があたるのが望ましいとアイデアを提供した。 これに対し堅田は、SOHOの周辺にいるものとして、「 SOHO側の説明責任能力が 問われる」と言い、すでに問題になっているベンチャー企業の格付け、組織人格の格付けなどに対し、内部の「自発的な認証」のシステムが確立するべきことを強調した。 |
SOHO道の提唱 |
第3セッションを終えるにあたり、司会の森から研究会委員で事務局サイドにいて調整役に当たっていた北浦に発言を求めた。 北浦は、「SOHO的なものが増えると、たとえば社会の効率性にしても従来の基準では計れなくなる」という点から二日にわたる議論についての感想を述べた。「従来の効率性は金であり、時間であった。しかし、それでは計れなくなりつつある。それでも、大企業はじめ種々の砦が崩れないうちは新しい勢力は弱い。それで大企業とSOHO的価値観との温度差を同じにしようとするよりも、同時平行させていかないと新しい勢力はマイノリティになってしまう。そうすると経済の論理に負けてしまう。そこに留意する必要があるのではないか」と言った。 また人格論については、次のような新しい考えを披露した。「一つは、これまで人々は仕事の組織で全人格を求められていた。それがこれからは部分的人格が重視されるようになるのではないか」。かりにそうなるとすれば、「人間は人格分裂症になりかねない。多重人格者が増えるのではないか。これまでは会社に所属することで全人格を保証されるようなところがあった。ところがSOHOワーカーは、自分で自分の人格を保証しなければならない。その場合、どのようにして 自分の全人格を確認するのか」。 このような北浦の考えをひろげて情報化社会の人格論にすると、大企業にしろSOHOにしろ自立を求められるそれぞれの人は、自らを社会的条件の中で自律的に全人格の検証を強いられるということになる。考えてみるとこれは、大変なことである。社会的条件を除外して、つまり隠遁して我が境地を求めるのであればあるいは達成可能かもしれないけれども、浮世で人と制度にまみれて暮らすものにとっては、自らによる全人格検証など不可能に近い課題ではないか。 北浦は、そこで民法から刑法など旧来の枠組みを変更しなければならなくなるであろうとし、しかしそれはにわかには難しいという認識で、それだけにSOHOは自らルールを作り、倫理観を形成して「ここまでは許される、ここからは許されない」というような共通認識を持って対抗していかなければならないのではないかと提言した。 個々が孤立しながら仕事をしていても、SOHOの人間はこうした仕事をするという「 職業上のエトス」が必要だとした。SOHOとしての自己表現、良いものを作ろうという思いそのものが業として成り立つ条件を生み出すのではないか。「これからは、SOHO道のようなものが求められる」。それができて、「得体の知れないものから恐れられる存在に変わる」と北浦は言って話を終えた。 |